三十路プログラマーぶろぐ

プログラマー、英語初級、三十路

プログラミングに対する気持ちの変化

 思い返してみると、プログミングに対する気持ちは結構変化してきている。初めてプログラムを書いたのは大学 4 年のときだ。部活を引退し、何か就職ネタになることはないかなと始めたのがプログラミングだった。当時所属していたのは山で定点観測をしている研究室だったのだが、前年に直近 5 年程度の記録をまとめた論文が書かれていたため、俺の論文ネタが全然なくて途方に暮れていたのだ。真面目な学生であれば頑張ってネタを探すのかもしれないが、教官が優しくて何も言わなかったのもあり、図書館でプログラムを書くようになった。

最初に書いたのは、ネットでおすすめされていた Java だった。いちばん簡単な参考書を買って、アプレットをいじった記憶がある。この当時、オブジェクト指向については理解できなかった(今もわからん)。簡単な Android アプリを作ったりもした。この頃プログラミングは、俺にとって頭の良さそうな遊びだった。プログラミングをしていると頭が良い気がしていた。程なくして HTML / CSS / JavaScript の Web 3 兄弟に触り始め、作ったシューティングゲームを Web サイトに配置して遊んでいた。シューティングと言っても、点数も何もなく、打ったら玉が出て、敵に触ったらゲームオーバーとかそんなレベルだった。

そうして気がついたら SIer に入社していた。SIer では IT 研修でいつもトップだった。そもそも同期のエンジニアは 20 人程度で、そのうち情報卒が 5 人程度。ほとんどプログラミングをしたことがない人たちばかりだった。その中でたった 1 年程度のアドバンテージはデカかったらしい。この頃プログラミングは、俺が同期に勝てるものだった。SIer では ERP のカスタマイズや小規模システムの開発を担当した。コードは総じて汚いし、設計や折衝業務が多くてつまらなかった。転職しようと思った。

転職先に選んだのは外資系企業だった。ここではプログラマーではなくサポートエンジニアという仕事についた。将来的にプログラマーに社内移動する算段だった。しかし見通しは甘く、英語力も技術力も足りなかった。特に英語力はひどく、社内の掲示板に何が書いてあるのかさっぱり読めないレベルだった。技術力に関しても、サポートエンジニアにすら俺より、いや大半の世の中のエンジニアよりプログラミングが得意な人たちが何人もいた。有名 OSS に参加してる人はザルで、メンテナーもいた。この人たちでさえ社内移動できないんだから無理だと思った。今思えば、この人たちも英語が駄目だったか、移動する気がなかったんだと思う。英語ができてその気があれば普通に移動できたはずだ。このときプログラミングは、将来のために継続的にやっておいたほうが良さそうなものになった。サポートの仕事ではプログラムこそ書かなかったが、それ以外の技術に関して大幅にスキルアップできた。その中で、プライベートでは引き続きプログラムを書いていた。

特に得るものもなくなり、社内でプログラマーに異動もできず、俺は日本企業に戻ることにした。またもプログラマーにはなれなかったが、PoC の手伝いなんかをやる仕事についた。この仕事をやっていると色々な技術に触れる。プログラマーではないが、プロトタイプを書くことがよくある。コードの汚い俺には向いてるかも。そうしているうちにまたプログラムが楽しくなってきた。OSSにも前より積極的に参加するようになった。今はプログラミングはただの遊びになっま。

引き続きこの遊びを仕事で続けられると良いな。次は海外で仕事をしたい。